2017-05-31 第193回国会 衆議院 厚生労働委員会 第25号
面会交流の機会が親による子殺しにつながってしまったと言え、なぜ子供の命を救うことができなかったのか、関係者を含めて丁寧に事後検証をすることが必要だというふうに思います。
面会交流の機会が親による子殺しにつながってしまったと言え、なぜ子供の命を救うことができなかったのか、関係者を含めて丁寧に事後検証をすることが必要だというふうに思います。
これは従来の子捨て、子殺しとは異なりまして、育児不安であるとかそれから子育て不安であるとか、要は孤立した中での子育て、それが原因となって虐待が生じ得るんだということが明らかになった。そういう意味で、従来の虐待の認識や態様とは異なる対策が必要になってくるという形で、虐待の問題が一気に広がってきたということが原因ではないかと思います。
これは実母による子捨て、子殺しが頻発したんですが、その子供の捨て場所が駅のコインロッカーを主に選ばれたということで、コインロッカーベビー事件と呼ばれましたが、この事件を契機といたしまして、お母さんたちの育児不安、育児ストレスを主な研究テーマとして三十数年取り組んでまいりました。
昨年来からの親殺し、子殺しなど悲惨な事件の続発を直視し、事案の実態に即した適正な科刑を実現するため、治安関係部門の体制充実強化に努めるとともに、刑事施設における受刑者等の過剰収容の解消を目指して、施設の拡充と要員の確保等に努めます。 また、約三割の再犯者が全体の約六割の犯罪を起こしている現状を踏まえると、犯罪のない社会、被害者を生まない社会の実現に向けては、再犯の防止が最重要の課題です。
昨年来からの親殺し、子殺しなど、悲惨な事件の続発を直視し、事案の実態に即した適正な科刑を実現するため、治安関係部門の体制充実・強化に努めるとともに、刑事施設における受刑者等の過剰収容の解消を目指して、施設の拡充と要員の確保等に努めます。 また、約三割の再犯者が全体の約六割の犯罪を起こしている現状を踏まえると、犯罪のない社会、被害者を生まない社会の実現に向けては、再犯の防止が最重要の課題です。
そして、経済的に立ち直った今、いいものを忘れたまま、本来の和の文明とか美と慈悲の文明のようないいものを忘れたまま拝金主義の方に突っ走るとすれば大変危険であり、そういう社会のよくない変化というものが殺伐な世相を生み、親殺しだ、子殺しだ、悲惨な事件を生む。だから、刑事事件というもの自体は平成十四年をピークにして減りつつはあるんですが、凶悪事件というのは全く後を絶たない。
残虐で忌まわしい事件、親殺し、子殺しなど、悲惨な事件の続発と殺伐な世相は、和の文明、そして美と慈悲の文明と呼ばれる縄文以来の我が国の固有の伝統が危機に瀕している、まさにそのとおりだと思います。今、多くの国民の皆さんが、いつ自分が、いつ自分の家族が凶悪な犯罪に巻き込まれて命を奪われるんじゃないか、そんな不安におののいていると思います。
残虐で忌まわしい事件、親殺し、子殺しなど悲惨な事件の続発と殺伐な世相は、和の文明、美と慈悲の文明と呼ばれる縄文以来の我が国の固有の伝統が危機に瀕している状況を表しています。 世の中に不易と流行があるとすれば、和を大切にする日本の心は不易であり、決して失ってはならないと思います。
残虐で忌まわしい事件、親殺し、子殺しなど、悲惨な事件の続発と殺伐な世相は、和の文明、美と慈悲の文明と呼ばれる縄文以来の我が国の固有の伝統が危機に瀕している状況をあらわしています。 世の中に不易と流行があるとすれば、和を大切にする日本の心は不易であり、決して失ってはならないと思います。
そういうことが当たり前であった時代には、子殺しや親殺しという話はやはり皆無なわけですね。 今の産婦人科の病院の状況を考えると、やはり生まれてすぐに、子供は子供の新生児室に預けられ、お母さんはお母さんの個室にいて、おっぱいをやるときだけは会う。果たしてそういうやり方を、本当はもうちょっと考えないといけないんじゃないのか、そういう問題提起をさせていただきたいと思っております。
子供の親殺し、親の子殺しを初めとして、一種のまさに危機的社会状況、すばらしい面もありますけれども、劣化社会のすさまじさを感じます。家庭教育をどうするかという問題は、大きなテーマでございました。 町村さんは、文部大臣当時、例えば、心のノートというのをつくられまして、家庭教育に大きく一歩踏み込まれた方でございますが、家庭にどこまで行政あるいは権力が介入できるのか。
私は、このいじめによる自殺問題のみならず、子供の親殺し、親の子殺しを初めとする最近の世間の風潮を考えますときに、例えばいじめによる自殺の報告の仕方がおかしかったじゃないかとか、文部省の統計のとり方が悪かったじゃないかなどという、その程度の議論ではなしに、やはりもっと根源をお互いに問いかけ直す、その議論が絶対に必要だろう。
今、それこそ教育基本法が審議をされておりますから、まずは皆様方の幅広い御議論もこれから踏まえなければいけないと思いますけれども、また一般国民も、ああした親殺し、子殺しがあったりする、その状況を非常に憂いておるようなこともございます。教育の在り方、私たちは決して現状で、そのままでいいとは思っておりません。 改革をするにしましても、ただ人減らしをしたらいいという私たちの意図ではございません。
最近のテレビであれ新聞であれ、マスメディアのニュース、記事、親の子殺しから子の親殺しに始まって、本当にひどい、信じられないような事件ばかり続発いたしております。
それぐらいの施策を取らないと子殺しは続くということを私は肝に銘じてほしいんですね。 そして、例えばちょっとここにあることを読んでみます。簡単に、省略しますけれども、この人が言っていることは、女たちは子育てしている人は常時疲れていると言っているんですね。
僕の大学時代のテキストにデズモンド・モリスの「裸のサル」という文化人類学の本がありまして、母親猿に育てられなかった子猿、または子猿同士が遊ばなかった子猿がどういう大人の猿になっていくか、子殺しの猿、育児放棄の猿、虐待する猿、そういう猿になっていくともう三十年も前から書いてあります。これは今の日本の新聞の三面記事をにぎわしているものそのものじゃないですか。
平湯参考人に伺いますけれども、今、日本社会自体、子殺しということに対してやや軽く扱う傾向、つまり、祖父江さんの方の愛知県の資料を見ても、やはり我々議員の印象は、こんなにあったのかという印象ですよね。子供が親を殺したら社会面トップ、親殺しということで大変な騒ぎになるけれども、親が少年を殺すと、大体理由がある。
次に第三点でございますが、児童虐待の問題についての御説明ございましたけれども、これは保護者によるということも含めまして、子供たちの死、子殺しといいましょうか、これ非常に嫌な言葉でございますけれども、例えばことしになって早々、茨城県の山の中で自分の母親に遺棄された子供が亡くなったということもありましたし、昨日、自治医大の玄関の前に生まれたての赤ちゃんが捨てられていて、そのお子さんは亡くなったという報道
しかし、この逆の子殺しというのがあるわけですね、子供を殺す。いわゆる親子心中のケースもまたそれでございます、子供に意思がないのに心中するわけですから。また、チャイルドアビュースと言われる、親による児童虐待のケースがある。これはアメリカでは非常に顕著な例が出ておりますけれども、親権者からの児童に対する権利侵害行為も世の中には実はたくさんあるわけですね。
一方、子殺しにつきましては、これは平成元年から五年までの数字を申し上げますけれども、殺人の件数としては二百九十一件と承知しております。この中で重いものを申し上げますと、無期または十年以上の懲役に処せられたものが二十件、七%前後、五年以下の懲役に処せられたものが二百四十五件、これはかなりの数に上っております。